2023年9月13日に岸田政権による内閣改造が行われ、小泉龍司さんが法務大臣として初入閣を果たしました。
71歳で初入閣となった小泉龍司さんは一体どのような経歴や学歴をお持ちなのでしょうか?
そこで今回は、
・小泉龍司の学歴と経歴まとめ!
・小泉龍司は東大卒業で出身高校は?
・小泉龍司の奥さんは病気で逝去
・小泉龍司の父親は会社社長!
をお伝えしていきます!
最後までお楽しみください。
小泉龍司の学歴と経歴まとめ!
小泉龍司さんのプロフィールからみてみましょう。
名前:小泉龍司
生年月日:1952年9月17日
年齢:70歳(2023年9月13日時点)
出身地:埼玉県秩父市中町
現住所:埼玉県深谷市上柴町
所属:自由民主党
続いて主な学歴と経歴をみてみましょう。
1975年3月 | 東京大学法学部第二類(公法コース)卒業 |
1975年4月 | 大蔵省入省(現:財務省) |
1993年 | 米国コロンビア大学大学院客員研究員 |
1996年4月 | 大蔵省退官 |
1996年10月 | 衆議院選挙初出馬 落選 |
2000年6月 | 衆議院選挙 初当選 |
2005年 | 郵政民営化関連法案に反対し自民党を離党 |
2017年 | 自民党に復党(二階派) |
2018年4月 | 自民党埼玉県第11選挙区支部長 |
2021年11月 | 自民党選挙対策副委員長 |
小泉龍司さんは東京大学法学部を卒業後、大蔵省に入省。
退官の後無所属で衆議院選挙に初出馬しますが落選。
2000年に無所属で出馬した衆議院選挙で埼玉11区で自民党前職の加藤卓二さんを破って初当選を果たし、同年小泉龍司さんも自民党に入党しました。
しかし2005年に当時の首相だった小泉純一郎さんが進めていた郵政民営化関連法案に反対票を投じたことで党議拘束に造反したとみなされ自民党の公認を与えられなくなります。
その後党の公認候補に対立する形で挑んだ衆議院選挙で敗れ、離党勧告もしくは除名という厳しい処分が下され離党することに。
離党後も自民党への復党を目指しつつ、無所属でも衆議院選挙へ立候補を続け当選を重ねます。
そして2017年に自民党へ復党することが出来ました。
平成17年(2005年)に、郵政民営化関連法案に反対して自民党を離党し、その後無所属で当選を重ね、平成29年(2017年)の衆議院選挙の前に復党しました。
引用元:NHK
小泉龍司さんは2023年9月時点まで無所属の期間も含めて衆議院選挙で7期当選されています。
70代となり初入閣となった理由は離党していた期間があったからなのだと考えられます。
小泉龍司は東京大学卒業で出身高校は?
小泉龍司さんは前述のとおり東京大学法学部を卒業されています。
出身高校は明らかになっていません。
分かり次第追記します。
小泉龍司の奥さんは病気で逝去
小泉龍司さんの奥さんは小泉陽咲枝(ひさえ)さんです。
2019年9月10日にくも膜下出血により満57歳で亡くなられています。
小泉龍司さんは陽咲枝さんとは二度目の結婚でした。
ちなみに陽咲枝さんはインターナショナル美容針灸協会の名誉会長となっているようです。
出典元:インターナショナル美容針灸協会
とても綺麗な方だったのですね。
ちなみに小泉龍司さんは一度目には裕子さんという女性と結婚されており、二人の娘さんがいらっしゃいます。
しかし2002年に裕子さんは満44歳という若さで亡くなってしまいました。
小泉 裕子さん(こいずみ・ゆうこ=小泉龍司自民党衆院議員の妻)12日死去、44歳。東京都出身。自宅は埼玉県深谷市上柴町東3-17-19。葬儀・告別式は未定。喪主は夫龍司(りゅうじ)氏。
引用元:四国新聞社
死因は不明ですが、44歳という若さで逝去されていることから病気の可能性が考えられます。
小泉龍司の父親は会社社長!
小泉龍司さんの父親は小泉徳夫さんといい日本信販会社(現三菱UFJニコス)の4代目社長でした。
また太陽生命保険の副社長や副会長など重役を歴任された方でもあります。
小泉龍司さんは御曹司だったようです。
父親・小泉徳夫さんも東京大学法学部を卒業後、大蔵省に入省。
大蔵省銀行局第一課長を経て、太陽生命保険専務に就任しています。
小泉龍司さんは大蔵省入省までは父親の徳夫さんと同じ道をたどっていることから、きっと父・徳夫さんから国に仕えるための教育や信念などを教えられてきたのかもしれませんね。
70代に入ってから初入閣を果たした小泉龍司さん。
今後どのような活動をみせてくれるのでしょうか。動向から目が離せません。