俳優として活動されている石橋正高さん。
過去には大物歌手との交際もあった人物です。
そんな石橋正高さんを調べていくと市川猿之助さんともかなり縁の深い人物であることがわかりました。
そこで今回は、
・石橋正高の現在の仕事は市川猿之助のマネージャー!
・石橋正高のプロフィールと経歴をまとめてみた
・石橋正高は小柳ルミ子と婚約していた
をお伝えしていきます!
最後までお楽しみください。
目次
石橋正高の現在の仕事は市川猿之助のマネージャー!
石橋正高さんは俳優としても活動しながら、市川猿之助さんのマネージャーを務めてると言われています。
俳優としてどこかの事務所に所属している情報はないためフリーで活動されてるのだと思います。
そのためマネージャーを兼任するのも自由が効くのかもしれませんね。
市川猿之助さんとは父親・正次さんがスーパー歌舞伎Ⅱへ出演されたことをきっかけに、正高さんも猿之助さんと一緒に仕事をするようになっとのだとか。
石橋正高さんのInstagramには市川猿之助さんと仲良くされてることがわかる画像がいくつもアップされています。
市川猿之助さんと親しいSixTONESのジェシーのライブにも一緒に行ってることから仕事とプライベート共に仲良くされていたのではないでしょうか。
市川猿之助の「愛するM」は石橋正高
市川猿之助さんが2023年5月18日に自殺をはかったことは大々的にニュースとなり話題をうんでいました。
市川猿之助さんが残した遺書には恐らく恋人と思われる人物へ向けた文章が書いてあったそうです。
そこには宛名が書いており、週刊誌などでは「M」と表現されており明確な名前までは判明していませんでした。
この市川猿之助さんの「愛するM」とは誰なのか様々な憶測が飛び交う中、候補にあがってきたのが石橋正高さんです。
まだご本人がインタビューに答えたわけではないのでわかりませんが、果たして真実はどうなのでしょうか。
歌舞伎役者で俳優の市川猿之助さんが2023年5月18日に自殺を図ったという衝撃的なニュースが流れました。 一命をとりとめましたが自宅からは遺書が見つかっており、あて名は愛するM(実際には猿之助さんと交流のあった人物の名前 …
石橋正高のプロフィールと経歴をまとめてみた
石橋正高さんのことを知っていただくためにまずはプロフィールをご紹介していきます。
名前:石橋正高(いしばし まさたか)
生年月日:1979年4月6日
年齢:44歳(2023年5月現在)
身長:170cm
出身地:神奈川県
職業:俳優・タレント
石橋正高の家族構成
石橋正高さんの家族構成は父親・母親・兄・正高さん・妹・弟3人の合計8人家族。
兄弟が6人もいることに驚きます。
父親は俳優兼歌手の石橋正次さん。
「夜明けの停車場」で紅白歌合戦に出場されたこともあります。
ドラマ「とびだせ青春」(1965年)
映画「あしたのジョー」(1970年)
音楽「夜明けの停車場」(1972年)
など
兄弟も多いことから皆さん俳優かと思いましたが、俳優をされているのは石橋正高さんだけでした。
他の方はメディア出演などはなく一般のお仕事に従事されてると思われます。
ちなみに石橋正高さんが俳優を志したきっかけは父親・正次さんに憧れたためとのこと。
正次さんもきっと嬉しかったのではないでしょうか。
石橋正高の経歴まとめ
石橋正高さんのドラマデビュー作は恐らく1990年の斉藤由貴さんと木村拓哉さん主演の月曜ドラマスペシャル「おとうと」という作品だと思われます。
90年代~2000年代前半は俳優としてテレビ・映画などにも出演。
ドラマ「おとうと」(1990年)
舞台「JIRO-CHO」(2003年)
映画「亡国のイージス」(2005年)
など
2006年には小柳ルミ子さんとの婚約報道(後述します)もあり世間をにぎわせました。
近年では市川猿之助さん主催の舞台などをメインに活動されていたようです。
出演作品は複雑になった人間関係をベースにした作品が多い印象です。
しかし趣味はサーフィンや野球といった爽やかなイメージのものが多いです。
石橋正高と小柳ルミ子は婚約していた
2006年5月9日、歌手の小柳ルミ子さん(当時53歳)と石橋正高さん(当時27歳)の交際が発覚しました。
実に26歳差の交際です。
石橋正高さんの父親・正次さんより小柳ルミ子さんは4歳年下ではありますが、ほぼ親と同年齢であることに驚きです。正次さんは当時どのような心境だったのでしょうね。
2006年12月12日に小柳ルミ子さんの母親が亡くなったため、母親の喪明後に入籍を予定していたそうです。
2007年には石橋正高さんから小柳ルミ子さんへ指輪も渡され同居もされていました。
しかしその後破局。2007年11月には同居も婚約も解消されています。
破局理由は「いつまでも甘えられて疲れた」から。小柳ルミ子さんから別れを切り出したそうです。
石橋正高さんはもしかしたら母親の愛情のようなものを求めていたのかもしれませんね。