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安倍晋三さんの事件からより一層注目を集めている旧統一教会。

元々の創始者は夫である文鮮明(ムン・ソンミョン)ですが2012年に亡くなったため、妻の韓鶴子(ハン・ハクチャ)が現在の総裁となりました。

韓鶴子は子だくさんということでも有名なようです。

そこで今回は、

・韓鶴子と夫(文鮮明)の子供が14人!
・韓鶴子の夫(文鮮明)との馴れ初め
・韓鶴子の結婚は17歳で現在は家庭崩壊?

をお伝えしていきます!

最後までお楽しみください。

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韓鶴子と夫(文鮮明)の子供は14人!

韓鶴子と夫・文鮮明との間に子供がなんと14人もいらっしゃいます。

かなり子だくさんですね。

韓鶴子が17歳のときに夫・文鮮明と結婚しており、歳の差がなんと23歳もありました。(詳しくは後述します)

結婚から22年間で産んだ子供が14人(男7人、女7人)です。

下記が韓鶴子と夫・文鮮明の14人の子供一覧です。

第1子:文誉進(長女1960年生)
第2子:文孝進(長男1962年生)
第3子:文恵進(次女1963年生)
第4子:文仁進(三女1965年生)
第5子:文興進(次男1966年生)
第6子:文恩進(四女1967年生)
第7子:文顕進(三男1969年生)
第8子:文國進(四男1970年生)
第9子:文權進(五男1975年生)
第10子:文善進(五女1977年生)
第11子:文榮進(六男1978年生)
第12子:文亨進(七男1979年生)
第13子:文妍進(六女1981年生)
第14子:文情進(七女1982年生)

結婚した1960年にすでに第1子をもうけてから

あまり年数を開けずに子供を産んでいることもそうですが、

韓鶴子は帝王切開を4回していたり、

14人の子供以外にも流産で埋めなかった子供もいたということを考えると

何だかゾッとしてきますね。

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韓鶴子と夫(文鮮明)の馴れ初め

韓鶴子と夫・文鮮明の馴れ初めもゾッとする感覚に襲われました。

韓鶴子の母親が旧統一教会に入信したことを機に入信。

そこで創始者である文鮮明と出会います。

当時、36歳の文鮮明が13歳の韓鶴子を見て、

「こんなにかわいい子がいたんだね」

と言ったとされています。

36歳の男が13歳の女の子を「かわいい」というのは、

小さくて「かわいい」などの子供に対して使う意味としても捉えられますが、

その後結婚までしてるとなるとこのときの「かわいい」の意味にゾッとしてしまいますね。

そして韓鶴子が17歳のときに結婚。(1960年4月11日)

韓鶴子が創始者である文鮮明の伴侶となった理由は、

「信徒たちの夢に韓鶴子が出てきた」

からと言われています。

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韓鶴子の結婚は17歳で現在は家庭崩壊?

前述のとおり韓鶴子は17歳のときに文鮮明と結婚し、1960年から1982年までの22年間で14人もの子供を出産しています。

しかし14人の子供たちとはほとんど絶縁状態で家庭崩壊しているようなのです。

まず残念なことに14人のうち4人がすでに亡くなっています。

亡くなった子供

第2子:文孝進(長男1962年生)→アルコール依存・薬物依存、心臓マヒのため45歳で死亡
第3子:文恵進(次女1963年生)→生後8日で死亡
第5子:文興進(次男1966年生)→18歳で事故死
第11子:文榮進(六男1978年生)→死亡。理由は不明

そして2012年に夫・文鮮明が亡くなると韓鶴子と三男と七男との間で後継者問題が起こり、韓鶴子が教祖の地位を勝ち取ってはいますが組織が分裂。

分裂された組織

・世界統一家庭連合:韓鶴子
・家庭平和協会:三男
・世界平和統一聖殿サンクチュアリ:七男

さらに七女からは旧統一教会は「カルト集団」という告発も受けています。

この時点ですでに家庭崩壊ともいえますが、

そもそも韓鶴子も文鮮明も家庭をつくっていたわけではないようです。

というのも子供が生まれるとすぐに信者へ預けてしまい、

韓鶴子・文鮮明ともに養育には携わらないのだとか。

そのため顔も知らず会ったことのない兄妹もいたりするそうです。

家族よりも組織の拡大を優先してきたのでしょうか。

これが旧統一教会総裁の現実だと考えるとなんだか寂しい気持ちになります。

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