WBC(ワールド・ベーシックボール・クラシック)2023に日本代表として選抜された佐々木朗希(千葉ロッテマリーンズ)選手。
身長190cmもあり爽やかでイケメンな選手ですが、どのような家庭で育ってきたのでしょうか?
そこで今回は、
・佐々木朗希の父親は?職業は葬儀屋だった?
・佐々木朗希の母親は?母子家庭だった?
・佐々木朗希の兄弟は?
をお伝えしていきます!
最後までお楽しみください。
目次
佐々木朗希の父親は?
佐々木朗希さんの父親・功太さんは、2011年3月11日の東日本大震災の津波によって、朗希さんの祖父母とともに帰らぬ人となりました。享年37歳でした。
佐々木朗希さんは岩手県陸前高田市出身。
陸前高田市は震度6弱(推定値)を記録し、甚大な津波被害を受けた地域です。
高田小3年のとき、小学校で被災した。津波から逃れようと、みんなで高台へと逃げた。避難所で兄弟3人で一夜を明かし、翌朝には母・陽子さんと再会できたが、自宅は流された。最愛の父と祖父母は津波にのみ込まれた。
引用元:スポニチ
佐々木功太さんは地域でも知られた人で、リーダー的存在だったのだとか。
若きリーダー、功太さんに多くの人がほれた。壊滅的被害からの復興に尽力してきた戸羽太・陸前高田市長(55)も、付き合いが長かった1人だ。「有言実行の人。一緒にやろうという仲間作りが上手な人でした」と、未来を語り合った日々を懐かしむ。「気さくで、行動力があって。先輩も後輩も、みんなが付いていって」と褒める言葉が尽きない。
引用元:日刊スポーツ
当時は9歳だった佐々木朗希さんにとって、被災したことは元より、父親を亡くしたことは想像を絶する悲しみだったと思います。
そんな悲しい日々を乗り越えてこれたのは野球があったからだそう。
「野球しているときが一番楽しかった。夢中になれる時間というのがあったおかげで、大変だったとき、つらいときも頑張れた。野球をやっていて良かったなと思う」。
引用元:スポニチ
野球に熱中できたからこそ、つらいときも前を向いて頑張ってこれたのですね。
佐々木朗希の父親の職業は葬儀屋
佐々木朗希さんの父親・功太さんの職業は葬儀屋だったそうです。
佐々木功太さん。もともと、陸前高田では知られた人だった。元気な3児の優しい父として。人生の節目に寄り添う仕事をする、人情あふれる働き者として。夏祭りでは町内会を率先して盛り上げる、太陽のような存在として。163キロ右腕のことを「あの功太の、3人息子の真ん中の子」と認知する人も多い。
引用元:日刊スポーツ
人を惹きつける魅力的な人だったのだと感じます。
佐々木朗希の母親は?母子家庭だった?
佐々木朗希さんの母親は佐々木陽子さんという方です。
2019年に佐々木朗希さんがロッテと契約をされた際に同席されていました。
とても若々しくきれいな方だと思います。
佐々木陽子さんは当時、岩手県内でOLをされており、震災が発生したときは仕事で隣町の大船渡にいたそうです。
地震発生後、陸前高田に戻ろうにも浸水のため立往生。
翌朝5時に車で陸前高田へ3時間かけて向かい、子供たちと合流できたとのことです。
震災後、親戚を頼り大船渡へ引っ越し。
最愛の夫を亡くした悲しみも計り知れないですが、それでも子供たちを女手一つで育てあげます。
再婚はされていないようで、震災後は母子家庭だったようです。
そんな母親の姿を見て息子たちも逞しく成長されたのだと私は感じました。
佐々木朗希さんが2021年にプロ2度目の先発出場した際のヒーローインタビューが話題となっていました。
「ヒーローインタビューでウィニングボールをどうするのかと聞かれて『両親にプレゼントします』と言ってくれた事がうれしくてうれしくて号泣しました。私だけではなくて両親にと言ってくれたのがうれしかったです。本当に嬉しい一日となりました」
引用元:文春オンライン
佐々木陽子さんも旦那さんの姿を決して忘れていなかったことかと思います。
女手一つで育ててきた息子さんからの最高のプレゼントとなったに違いありません。
佐々木朗希の兄弟は?
佐々木朗希さんは、長男:琉希さん(24)・次男:朗希さん(21)・三男:怜希さん(17?)の三兄弟です。
兄弟全員が大船渡高校に進学しています。
長男:佐々木琉希とのエピソード
長男の琉希さんは小学校三年生から野球を始めており、大船渡高校の野球部では4番打者だったのだとか。
そんな琉希さんの影響もあり、朗希さんは野球を始めたといいます。
ちなみに朗希さんの名前の由来は、朗希さんが生まれた2001年に放送されていた「百獣戦隊ガオレンジャー」の登場人物の「狼鬼(ろうき)」とのこと。
これは琉希さんが発案されたそうです。
野球を始めた朗希さんに琉希さんは技術的な指導をすることもあったのだとか。
「自分が周りに教わったことは全て教えようと思って」と技術的な指導も行ってきた。
引用元:スポニチ
指導が厳しすぎて喧嘩をすることもあったそうですが、高校生にもなるとレベル的に指導できなくなります。
それでも琉希さんは「一番大変なのは母さんだぞ」ということは伝え続けていたそうです。
もしかしたら朗希さんは琉希さんからの教えもあって、ここまで母親想いになったように感じました。
三男:佐々木怜希とのエピソード
三男の佐々木怜希さんも野球をされています。
現在(2023年3月時点)は大船渡高校2年生。
2022年の春の高校野球でも内野手として活躍されました。
朗希さんとも仲が良いようで頻繁に電話もするのだとか。
「(兄が)活躍している姿を見るとうれしいなと思います。自分も頑張ろうという気持ちになります」
引用元:サンスポ
また2023年の甲子園出場に向けての意気込みも語られています。
兄が3年夏に決勝で逃した甲子園出場に向けて「出塁することを徹底して打撃に取り組みたい」と成長を誓った。
引用元:サンスポ
念願が叶うのか、また怜希さんも朗希さんの後を追い、野球界に進出するのか、今後の活躍に期待していきたいと思います。