カリスマ性を発揮し続けるX JAPANのYOSHIKIさん。
X JAPAN活動時の伝説級のエピソードも多いですが、YOSHIKIさんは学生時代からどこか規格外だったようです。
そこで今回は、
・YOSHIKIの出身音大と伝説エピソード
・YOSHIKIの出身高校と伝説エピソード
・YOSHIKIの出身中学校と伝説エピソード
・YOSHIKIの出身小学校と伝説エピソード
・YOSHIKIの出身幼稚園と伝説エピソード
をお伝えしていきます!
最後までお楽しみください。
目次
YOSHIKIの出身音大
YOSHIKIさんは音大へは進学せずバンド活動に専念するため東京へ上京しています。
そのため最終学歴は高校卒業です。
当初は武蔵野音楽大学に合格していたので進学予定でしたが、高校3年生の冬休みに幼馴染のTOSHIさんから「俺たちどうする?」と切り出された際、大学の進学を蹴り、東京でバンド活動をすることを決意したそうです。
武蔵野音楽大学というとピアノ学科は東京音楽大学や国立音楽大学に次ぐ難関校。
そこに推薦入学が決まっていたところ蹴ってしまったので母親からは猛反対を受けたとのこと。
母親からは「ロックで成功しなくても音大出てればピアノの先生になれるから」と言われていたそうですが、「逃げ道を作る人生は嫌だ」とロックバンド一本に絞ったんだそう。
YOSHIKIさんの生き様が感じられますね。
YOSHIKIの出身高校は安房高校
YOSHIKIさんの出身高校は千葉県立安房高等学校ということがわかっています。
毎日新聞の記事で明らかになりました。
現在の偏差値は59(みんなの高校情報参照)
元々音大に行くために本格的にピアノを練習していたそうですが、高校卒業後は前述したとおり東京へ上京し「X JAPAN」を結成することになります。
高校ではその前身となる「X」を結成しています。
伝説エピソード①喧嘩ばかりしていた不良
YOSHIKIさんは高校時代不良だったそうで、入学式には真っ赤な髪で膝まである学ランを着用していったのだとか。
当時は「目に見えるものが全部敵」に見えていたようで、「文句があるやつは俺にかかってこい」と全クラスに言って回っていたとのこと。
そんなこともあってか学校創設以来2番目の不良と言われたそうです。
伝説エピソード②血の気が多く即退場
YOSHIKIさんは高校時代サッカー部に所属していました。
しかし血の気が多く開始5分でレッドカードをもらって退場になったのだとか。
コーチからは「サッカーはボールを蹴るもので人を蹴るもんじゃない!」と怒られたと語っています。
伝説エピソード③音楽コンクールで受賞
中学校時代からTOSHIさんたちとバンド「NOISE」を組んで活動していましたが、高校2年生のときに大学受験を控えたメンバーが脱退したでバンドは解散。
その後TOSHIさんと「X」を結成。
「X」の由来は特になく、パンフレットなどに載った際に長いバンド名より目立つからというのが理由だそう。
YOSHIKIさんがバンド名を提案するとTOSHIさんは即決。
高校の文化祭やライブハウスなどでも演奏をしていたそうです。
そして高校3年生の時に受験勉強の合間を縫って、ヤマハが主催する音楽コンテストへ出場。
バンドとしての賞は逃しましたが、YOSHIKIさん個人でベスト・ドラマー賞を受賞。
一方TOSHIさんもベストボーカル賞を受賞したとのこと。
カリスマ性の片りんが見えた気がしますね。
YOSHIKIの出身中学校
YOSHIKIさんの出身中学は館山第三中学校です。(現館山市立館山中学校)
元々館山第二中学校に通っていましたが、中学3年生になるタイミングで分離した館山第三中学校へ移り卒業しています。
部活はサッカー部とブラスバンド部に所属。
そしてバンド「NOISE」を結成。
中学2年生のときに卒業生を送る会で初ステージにたっています。
伝説エピソード①暴走族の集会に英単語帳持参
YOSHIKIさんは中学の途中からグレ始めたそうですが、成績はとてもよかったそうです。
母親から勉強しなさいと言われていたためか、不良となっても勉強をかかしていなかったのだとか。
暴走族の集会に英単語帳を持って行ったという伝説もあるほどです。
伝説エピソード②卒業式で木刀を振り回す
YOSHIKIさんが不良へと変わっていったきっかけはいくつかあるように思います。
まず、中学生の頃に髪を伸ばしていたYOSHIKIさん。
しかしそれを先生に押さえつけられ丸坊主にされてしまい泣いたと語っていました。
また先輩からは頭が宇宙人のように尖っていたため「宇宙人」と言われたそうです。
そのあたりから徐々に荒れ始めたのだとか。
さらにはYOSHIKIさんの父親は10歳の頃に亡くなっているのですが、それが自殺だったと中学生のときに初めて知ったとのこと。
その事実にショックとともに怒りも沸いてきたのだそうです。
時系列はわかりませんが、それらが積み重なって爆発していったのだと思います。
卒業式には木刀を振り回して暴れまわったほど荒れていたとのことです。
YOSHIKIの出身小学校
YOSHIKIの出身小学校は館山市立北条小学校です。
YOSHIKIさんの実家は老舗呉服屋で裕福な家庭だったそうです。
そのためか毎年誕生日には楽器をプレゼントされていたそうです。
10歳の誕生日にはトランペットをプレゼントされたことをきっかけにブラスバンド部に所属したとのこと。
父親はジャズ・ピアノ・タップダンス、母親は三味線、叔母は琴をやっており、音楽一家の長男としてYOSHIKIさんは育ちます。
音楽好きだった父親の影響でピアノを始め、8歳の頃にはシューベルト交響曲第8番口単調「未完」とベートーヴェン交響曲ハ短調レコードを自分のお小遣いで購入しています。
9歳になるとピアノで作曲を始めるという天才ぶりです。
しかしそんな中大好きだった父親はYOSHIKIさんが10歳の頃なくなってしまいます。
父親が亡くなったときのことをYOSHIKIさんはこのように振り返っています。
「夏休みの器楽クラブから帰ると父が布団に寝かされていて。でも頭には白い頭巾を被されていて」
10歳の子供には重すぎる現実ですね。
伝説エピソード①学校にトースター持参
YOSHIKIさんの伝説エピソードは小学生時代にもありました。
給食に出るパンをそのまま食べるのが嫌いだったYOSHIKIさんはトースターを学校に持参し、焼いて食べていたそうです。
しかし、先生から「全員が食パン焼けないからやめなさい」と怒られてしまいます。
ですが、次の日にトースターを2台持って行ったそうです。
頭が良いですね。
伝説エピソード②小学生でロックバンド結成
YOSHIKIさんは母親にお願いしてライブに連れて行ってもらうほどKISSが好きだったとのこと。
しかしそのライブで火を噴いたりするKISSのパフォーマンスを見た母親から「なんてところに連れてきたの!」と激怒されたこともあるそうです。
ただYOSHIKIさんはそこからロックの魅力にはまっていったのだそうです。
驚くことに幼稚園からの幼馴染であるTOSHIさんと小学生のときにロックバンドを結成します。
名前は「ダイナマイト」。
近所の貸しスタジオでKISSの楽曲を練習していました。
YOSHIKIの出身幼稚園
YOSHIKIさんの出身幼稚園は館山市立北条幼稚園です。
ここでTOSHIさんと出会います。
YOSHIKIさんとTOSHIさんは同じ組だったことから、ファンの間では二人の関係を「すみれ組」と表現する方も多いのだとか。
幼稚園から高校まで同じ学校に通い、X JAPANとしても活動していくことになるのですから運命の出会いというのはあるものですね。
X JAPANとなってから破天荒なエピソードが話題になっていたYOSHIKIさんですが、実は学生時代から破天荒で規格外な方だったことがわかりました。
カリスマ性は確かにありますがもしかしたら誰よりも人間味のある人物なのかもしれませんね。
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