陸上選手として数々の記録をマークしてきたサニブラウン選手。
そんなサニブラウン選手を育てたご両親は一体どのような方なのでしょうか。
そしてご兄弟はいらっしゃるのでしょうか?
そこで今回は、
サニブラウンの家族構成は4人!
サニブラウンの父親はガーナの元陸上選手?
サニブラウンのプロフィールと生い立ち
をお伝えしていきます!
最後までお楽しみください。
目次
【顔画像】サニブラウンの家族構成は4人!
サニブラウン選手の家族構成は4人ということがわかっています。
父親:サニブラウン・アブデル・ラティフ
母親:サニブラウン明子
本人:サニブラウン・ハキーム
弟:サニブラウン・アブデル・ハナン
詳しくみていきましょう。
家族構成①父親
サニブラウン選手の父親はサニブラウン・アブデル・ラティフさんです。
父親・ラティフさんはガーナ出身で現在は都内でスポーツバーを経営しています。
スポーツバーの場所や名前はわかっていません。
父親・ラティフさんはプロではないですが、サッカーをしていました。
その影響でサニブラウン選手も小さい頃にはサッカークラブに入っていました。
サニブラウン選手が陸上をやるきっかけになったのは母親・明子さんだといいますが、父親・ラティフさんとしてはサッカーを続けてほしかったようです。
ですがサッカーはどうやら向いてなかったと判断したようです。
その理由は母親・明子さんのところで記載します。
家族構成②母親
サニブラウン選手の母親はサニブラウン・明子さんです。(旧姓:伊藤明子)
出典元:スポニチ
母親・明子さんの国籍は日本で福岡県出身です。
高校時代は陸上選手として活躍。
なんと100mと100mハードルでインターハイ出場もされています。
父親・ラティフさんの影響で幼少期にはサッカーをしていたサニブラウン選手が陸上に転向したのは、母親・明子さんの勧めもあったからなのだそう。
母親・明子さんはこのように語っています。
「好きなことをやらせていたんですよ。でも、サッカーは向いてなかった。『俺が俺が』ってガンガンいく感じじゃなくて、『球技は楽しくやろうよ』というタイプだから。ジグザグに走るのも、そんなに得意じゃなかったんじゃないかな」
引用元:産経新聞
ポジションはFW(フォワード)だったので、時には我を通さないといけないシーンもあるかと思いますが、性格的に向いていなかったと判断されたのですね。
母親・明子さんのこうした意見もあり、小学3年生のときに陸上に転向。
大森誠一さん(バルセロナ/アトランタ五輪:400m×4リレー代表)が主催するクラブチームに入ります。
母親・明子さんは大森誠一さんとは旧知の仲だったのだとか。
すごい人脈ですね。
母親・明子さんはさらに
・食生活の管理
・メンタル面の教育
など、サニブラウン選手のサポートに徹します。
今のサニブラウン選手があるのは母親・明子さんの尽力のサポートがあったからなのですね。
家族構成③弟
サニブラウン選手の弟はサニブラウン・アブデル・ハナンさんです。
出典元:アビスパ福岡
ハナンさんは2006年7月生まれでサニブラウン選手とは7歳差ということになります。
ハナンさんは小学生の頃に陸上とサッカーをそれぞれ習っていました。
共に両親からの影響ではありましたが、ハナンさんはサッカーに夢中になり、現在はサッカー選手(J1アビスパ福岡アカデミーUー18)として活躍されています。
ポジションはFW。
兄・サニブラウン選手とは性格は真逆なのかもしれませんね。
きっと父親・ラティフさんは嬉しかったことでしょう。
ハナンさんがトップチームで活躍する日が楽しみです。
サニブラウンの父親はガーナの元陸上選手?
サニブラウン選手の父親・ラティフさんが元陸上選手だったか気になる方もネット上にはいらっしゃいました。
しかし前述の通り陸上はされておらず、サッカーをしていたというのが本当のところです。
ラティフさんはアフリカ大陸のガーナ出身で、何となくですが足が早そうというイメージがあることから気になったのではないでしょうか。
しかしイメージなだけで、実際はガーナの陸上選手(100m走)の記録は日本人と大して変わらないようです。
参考までに日本人とガーナ人で10秒の壁を越えた方をピックアップしてみました。
【日本】
桐生祥秀:9.98秒(2017年9月9日)
サニブラウン:9.99秒(2019年5月11日)
小池祐貴:9.98秒(2019年7月20日)
山縣亮太:9.95秒(2021年6月6日)
【ガーナ】
レオナード・マイルズ:9.98秒(1999年6月5日)
アジズ・ザカリ:9.99秒(2005年6月14日)
日本人との差は現状あまりないように思います。
イメージとは怖いものですね。
サニブラウンのプロフィールと生い立ち
サニブラウン選手のプロフィールと生い立ちを少しみてみましょう。
名前:サニブラウン・アブデル・ハキーム
生年月日:1999年3月6日
出身地:福岡県北九州市
身長:190cm
血液型:O型
所属:東レ
出典元:JAAF Instagram
サニブラウン選手は、福岡県北九州市出身ですが、すぐに東京に移り、小学校は東京の港区お台場学園港陽小学校へ通っています。
サニブラウン選手の生い立ちをみていきましょう。
生い立ち①小学生時代
幼少期は父親の影響でサッカーに取り組みますが、母親から「向いていない」と判断され、小学3年生から陸上に転向。
そして小学4年生の頃に母親の旧知の仲である大森誠一さんの主催していた
「アスリートフォレスト トラッククラブ(A・F・T・C)」
にはいります。
引用元:日本経済新聞
AFTCは浦和にありましたが、サニブラウン選手は都内から休まず練習に通っていました。
サニブラウン選手の走りを見た大森誠一さんは当時のことをこのように語っています。
最初に走りを見た際、その接地の仕方の柔らかさに驚かされたという。フォームは粗削りだったが、接地、足首の使い方には持って生まれた洗練された動きが備わっており、「ひょっとしたら、ひょっとするトップランナーに成長するかもしれない」とも考えた。
引用元:日本経済新聞
まさにダイヤの原石ですね。
生い立ち②中学~高校時代
小学校を卒業後は城西大学付属城西中学校・高校へ進学。
出典元:高校生新聞
当時のクラブ顧問はシドニーオリンピック出場経験のある山村貴彦さんでした。
山村貴彦さんの指導を受け、さらに成長に磨きがかかります。
高校1年生 | インターハイ男子200m準優勝 |
高校2年生 | 世界ユース選手権男子100mで10秒28を記録(当時の高校歴代5位) |
高校2年生 | 200mでウサイン・ボルト選手が持っていた大会記録を更新 |
高校3年生 | ダイヤモンドリーグ上海大会男子100mで高校歴代2位の10秒22を記録 |
着実に実績と成長を積んでいっていきます。
生い立ち③大学~現在
高校卒業後は、アメリカの陸上強豪校であるフロリダ大へ進学。
2019年には男子100mを9秒97で走り、日本記録を樹立しました。
出典元:スポニチ
同年開催の世界選手権では男子4×100mリレーにおいて、
37秒43というアジア新記録にも貢献し順風満帆かに見えました。
しかしその後、ヘルニアの影響もあり記録が振るわないまま、東京2020への出場機会も逃してしまうことに。
2023年での世界選手権では6位入賞したことで復調の兆しを見せます。
そして2024年のパリ五輪の出場をかけて現在闘っています。
オリンピックデビューを飾るサニブラウンさんを見てみたいですね。
まとめ
サニブラウン選手の家族構成は4人で、スポーツマン一家ということがわかりました。
改めて簡単にまとめます。
父親:サニブラウン・アブデル・ラティフ(サッカー経験者/スポーツバー経営)
母親:サニブラウン明子(元陸上選手)
本人:サニブラウン・ハキーム(陸上選手)
弟:サニブラウン・アブデル・ハナン(プロサッカー選手)
サニブラウン選手のこれからの活躍から目が離せません。